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「 ファドを知る 」最終

Posted by ルア on 14.2011 Amigo山岡   2 comments   0 trackback
「無知な3匹の猫」
1950年、RomaのオペラハウスのArgentineでファドを歌うことになった。
Liric歌手のMaria Caniglia 、バイオリンの Jaques Thnbault、テノ-ル歌手の
Fiorenzo Tassoが、交響楽団と共演する という催しだった。音楽界のスタ-達と
交響楽団をよそ目に、アマリアは、Argentineの大舞台で、ポルトガルのギタリ
トの伴奏でたった一人で歌う羽目になったのである。その時の気持ちを、アマ
リアはこう述懐している。

゛私ら3人と、交響楽団と巨星たちとのコントラストはあまりにも大きく、私の
心は青竹がしなるように揺れた。まるで交響楽団の前にほうり出された音楽を知
らない無知な3匹の猫のようだった゛と。
゛舞台に立つと表情が固くなるのが分かった。でも最前列に座っている観客の顔
を見たら、落ち着いた゛。

゛私は歌い、終了した。大きな拍手が起こり、立ち上がり、なかなか止まなかっ
た。なんとか成功したとは感じたが、あまり楽しくない顔をして舞台を降りて
いった。するとそこでまた大勢の人に囲まれ、拍手と賞賛のどよめきに包まれた。
゛Bravo ! Bravo ! Bravo !!なにを浮かない顔をしている!!、大成功なのに!!Bravo!!.
私はそこで始めて成功したことを実感し、泣き、笑った。泣き笑いを繰りかえし
た。劇場の外に出てからも同じ現象が起こった。その年のその時、私のコンプレ
ックスは流れ落ちた。当時のFadistaが「音楽家たち」に対して持っていたコンプ
レックスは想像以上に大きかったのである。私は大きなものを手に入れた。゛と。

「Fadista が抱いていたコンプレックス」とは
アマリアは天性賢明な頭脳の持ち主だった。音楽学校も出ていないままファド
歌手になった。祖父母が歌うのを聞き、母や従兄弟たちの地方のカンソンを聞い
た。市場で庶民の歌を聞き、野菜売りの手伝いをしながら歌った。常に庶民の中
で生きて来た。リスボン市内にもまだ゛めしい゛が大勢いて歌って往来する姿を
見ながら育った。
ファドが下層階級から生まれてきたらしいことを明敏なアマリアは悟っていた。
自分の歌い方が、庶民層に根を発している点も察していた。大歌手になった後で
も、「ファドの経歴」はNon Academicな部分で成り立っている点を知覚してい
た。それが音楽家に対して抱いていた「Fadistaが持つコンプレックス」だったの
である。Romeのオペラハウスで歌った後、涙と笑いでそれを荒い流した。

「ファドの進化と作曲家」
1952. 米国NYで初舞台。Le Vie en Rose で4ヶ月もの公演となる。
1953. ポ国人で初の米国でのレコ-ティング。米のTV のEddice Fisher Show出演。
1954. ハリウッドのMocambで歌う。LP発売。
1955. 「海のカンソン」と映画「Les Amants du Tage」の主題歌「黒いはしけ」を
   歌い、空前のヒットとなる。フランス中に広まり、そこから世界に発信さ
   れていった。
   この時期、作曲家のAlain Oulmanが登場する。フランス人で、自国では
   イブ. モンタンのための作曲をしたことがある。
   アマリアが登場して、ファドは世界のひのき舞台に上がった。しかしまだ
   未完成の分野が残っていた。それは、古くからある伝統的なファドから
   脱出し、-都会の文化人のための都会のファド-を生み出すことだった。
   それを生み出すために必要な新しい作曲家、それがAlain Oulman だった。
   彼はまるでアマリアの磁石に引き寄せられたようにしてリスボンにやって
   来て、アマリアにおあつらえ向きのファドの作曲を始めたのである。
   アマリアは
   ゛私の歌いっぷりにかなっている。これ、これよ、私の中のファドは彼が
   現れるのを待っていた゛と述べている。
   レコ-ディングを担当して来たルイは゛二人の呼吸は不思議な感応をして
   いた。歌合わせをする時、何処かにおかしい所があっても、お互いに何も
   いわないのに、曲は完成していった。人間は二人いるのに、精神はひとつ
   で作曲しているようだった゛と回顧している。
   
   アマリアは天才的な才能で歌手として頂点まで登りつめた。 
   そこにフランスの文化と音楽を身に付けたAlain Oulmanが現れ、アマリア
   が待ち望んでいたファドを、30数曲も作曲した。曲がひとつ生まれる度に、
   ことごとくヒットしてゆく。二人の出会いが、リスボン生まれのファドを
   進化させ、音楽のいちシャンルとして確立させていった。          
1962. 「川で濯ぐ民」を歌う。大ヒット曲。後年のアマリアは、
   ゛この曲は千回以上も歌ったが、ただの一度も同じニャンスでは歌ってい
   ない゛と言っている。゛たまには良くない歌い方になることもあったが、
   新しい歌い方を探しながら歌ったからよ゛、ともいっている。アマリアに
   は、天性の声の質の他に、゛歌う度に発声法を変え゛たり、曲の趣を自在
   に変化させる特技があり、他の歌手の追随を許さない能力だった。
   ゛私はきれいに澄んだ声で歌うのは好きでない。゛オブラート゛で少し燻
   した声で歌う゛とも言っている。CDを聞くと分かるが、例えば「わが心」
   (meu Coração) の箇所は{meuのm音}を発声する直前に{n音}から始まり、
   直後に{m音}に移行している。(ポ語だから可能な発声法) こういう所に
   アマリアの発声の秘訣があるのかも知れない。
1965. 独裁政権下で、ポ国最大の詩人であったルイス カモンイスの詩を歌っても
   いいどうかの議ronがされ、アマリアは「カモンイスは気に食わないかもし
   れないけど、私はあの詩が好きだから歌ったよ。詩人が作る詩は歌われる
   ためにあるんでしょ、詩人は国民のものだと思う。私も国民のひとりよ」!!
    といっている。女王は、自分のことをPovo-民-という表現を好んだ。
1966. NYのリンカ-ン.センタ-で出演。Andre Kostelanetyが指揮するオーケストラ
で歌う。
1969. カンヌで「MIDEM賞」を受賞。レコ-ド販売最多のア-チストに贈られる賞で
その後の2年間も維持された。これに並んだのはビ-トルズだけである。
旧ソ連各国で公演、15日間、モスクワではチャイコフスキ-の間で歌う。 
1970. 東京で公演。(写真を見るとファド. ギタ-2名Viola2名の伴奏である。NHK)。
   この年、不滅の名曲アルバム「Com Que Voz」を刊行。後年見つかったもの
   では二つのバ-ジョンがあり、アマリアが自在に゛アレンジ゛しながら歌
   っていたことを物語っている。
1976. UNESCOがレコ-ドを発売、John Lenonと並んで写真撮影。
1977. NYのカ-ネギ-ホ-ルで公演。
1985. 三度目のパリOlimpiaで公演。アマリアは早くからフランス語で歌うことが
   出来た。もともとポ語の発声法は、フランスに語に近い。
1990. 200年の劇場史の中でファド初演というSao Carlos 劇場で歌う。
1998. 「アマリア. ベスト」のレコ-ド発売、世界中から絶賛される。リスボン
   万博で表彰される。
1999. 自宅で死亡。Povo-民―の女王は、眠ったままの安らかな最後だった。
   
「最終の栄誉」
   死後数年後、政府は栄誉政令を発し、アマリア Rodrigues da Piedade Rebordao
   を国葬とし、「国立パンテオン」に移葬された。国立パンテオンに国葬さ
   れた7人目の国民である。

「作曲家の息子とドキュメンタリ-」 
2011. アマリアのために30数曲も作曲したAlain Oulmanの息子が、映画Producer
   となり、アマリアのドキュメンタリ-を製作した。少年時代の彼は、父と
   アマリアがファド作曲に没入する姿を見ながら育った生き証人。その製作
   後の感想で、
   「アマリアは外見から受ける印象と違い、心の優しい慈愛に満ちた人柄だ
   った。」「父とアマリアが取り交わす視線には、単なる仕事の理解を超え
   た、何かマジック的なものがあった」と述懐している。
(終)

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ポルトガルに住んでる先輩(岩岡さん)にも、
早速聞いてみたら、
今はポップスと融合したようなモダンなファドもあるようですね。
でも、やっぱり、まずはアマリアさん!!
これは、是非聞いてみねば!!
ってことで、探してみますね~!!
素敵な知識をありがとうございます!!
(*^^*)

2011.04.14 04:31 | URL | jackie #mu2RbJ92 [edit]
先ずはアマリア、で正解です。
どうか見つかりますように !!
2011.04.14 04:40 | URL | 山岡 #- [edit]


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プロフィール

ルア

Author:ルア
プロフィール 千本佳男
ちもと よしお
(写真は息子です)

ポルトガル在住30年以上
職業   取材・コーディネイター
星座   魚座 
血液型  B型
住む理由 気候がよく、ワインも食べ物も美味しいポルトガルの虜
趣味  昔はウインドサーフ、現在はもっぱらネットサーフ
好きな物 ポルトガルではワイン、日本では餡このお餅
得意な事 サッカー取材
日本の家 神戸にあります
ポルトガルの家 リスボン郊外25キロの住宅街
事務所  海と世界遺産シントラの山が見える丘の上

やろうと思う事 ポルトガルの写真を沢山撮って紹介したい

*****チモト実績*****

依頼源 ポルトガル
ICEP(ポルトガル貿易・観光振興庁)
IPPAR(ポルトガル歴史建造物保存院)
ポルトガル政府観光局
裁判所関連書類翻訳
メディア翻訳・ナレーション・通訳等

依頼源 日本
各官庁、地方自治体の業務請負
ポルトガル博覧会日本館チーフ・コーディネイト
大手商社業務委託
商品調査
イベント関連、 その他、

NHK
EUサミット・リスボン
首相インタビュー
大河ドラマ 信長
世界ふれあい街歩き
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Wカップリサーチ・選手インタビュー
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