Loading…

スポンサーサイト

Posted by ルア on --.-- スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アミーゴ山岡さんからWカップ便り第4弾

Posted by ルア on 02.2014 Amigo山岡   0 comments   0 trackback


リオ デ ジャネイロの風景 ①                                    

サッカ-を観戦に来れなかった人、観光にも来れなかった人に、リオの写真を何枚か紹介します。

誤解が生んだ永遠の「名( めい)都市名」

旧首都だったリオ デ ジャネイロ市の名称は、史上初めてこの湾岸に到着したポルトガル人が誤って「河」の河口に入港したと勘違いして名づけたもので、「一月の河」すなわちリオ デ ジャネイロとなった。南米大陸に始めてたどり着いた2年後の1502年の一月一日のことで、その日はサン・セバスチャンの日に当たっていたので当時は「サン セバスチャン デ リオ デ ジャネイロ」と言う長ったらしい名称が付けられた。彼らのイメ-ジには、故国リスボンのテ-ジョ河の河口の風景が頭に焼き付いており、そのため河であると早合点したものであると言う。

イパネマの油絵 1904年代とされる

イパネマの娘 から見た兄弟石

2014年のイパネマ 左手の密集地帯に注目

イパネマのビル群の裏山にはやはりコミュニティがいっぱい

リオ デ ジャネイロ と言う名はポルトガル人の誤解が生んだ産物だが、実は「インジオ」という人種の呼び方の方はスペイン人の誤解が生んだ産物である。コロンブスの艦隊が中米に辿り着いた時、目的地のインドに着いたものとばかり勘違いをし、インドの土着人と言う意味で「インジオ」と呼んだのが始まりとされる。この誤解で誕生した地名と人種の二つの単語は共に、何人の非難を受けることもなく、500年を経過した。後年の照査によって、実はほとんど川のない巨大な湾であると判明したが、ずっと川のままで通用している。美しい名前ではあるし、学術的に問題はないようである。

かのコロンブスの艦隊が帰国したとき、さる島から ( 現在のカリブ海諸島のひとつ)、手の平に余る程度の大きさの玉状のものを持ち帰ったが、それは、樹から出る樹脂を丸めたもので、地面に落とすと空中に飛び上がるし、足で蹴ると何処までも転がっていく性質を持った不思議な物体だった。インジオ達がこれを足で蹴っては追いかけまわす遊びをしていたという。後年、英国人がこの物質にゴムと言う名称をつけが、廻り廻ってやがてサッカ-のボ-ルに発展し競技が誕生した。                      
ブラジルに最初にサッカ- ( フット・ボ-ル) を持ち込んだのは、ブラジルに鉄道建設をするために来た英国人の技師で、サッカ-をするための広場も宿舎の近くの空き地に作られたが、それがブラジル初のサッカ-場だろうと言われている。                  
そのサッカ-の競技大会が目下ブラジルで開催中である。インジオ達の独占的遊び道具であった「ゴムの玉」が進化し、その玉を追っかけまわす遊びに熱中した人々が世界中から集まってきた。世界的規模で、膨大な額面のお金が動くと聞いた。何方か一番収入の多いところが、寸志を持ってこのゴムの玉に感謝をし、「奇跡の玉発祥の地-/-島」を特定してその地に「奇跡の玉発祥のモニュメント」でも創れないものだろうか、などと思うのは筆者のような暇人の考えることか。

2014年現在のイパネマの海岸

リオのコラソン 心 と呼ばれる内海


「イパネマの写真」 コパカバナの海岸が果てると、岩石の丘があり、その延長にイパネマ海岸が広がる。ブラジル発信の名歌「ガロタ デ イパネマ」(イパネマの娘)の歌の縁の地で、その名前の広場の上から写したもの。白黒が1915年のもの。油絵は1904年代の同じ場所を描いたもので、絵は、コパカバナ博物館所蔵。 2014年のカラ-の写真の中の(筆者撮影)、左手の傾斜に展開している密集地帯がかつての貧民街。現在は普通の勤め人も住むし、底上げされた中流クラスと低所得層そしてドラック密売者や犯罪者が渾然一体となって共存共栄する世界8不思議(ここを含めば)のひとつ。

この旧称貧民街のことを、現在では差別語をさけるために「コミュニティ」と呼ぶが、コミュ二ティは大小あわせるとリオには凡そ3千箇所もあると言われる。その中の30箇所はいわゆる「平和化」され、警察の派出所/交番制度が布かれている。日の丸の国が側面的に協力しているという。ただ、この派出所が時たま犯罪者たちの襲撃の的になり、警察も手を焼いているらしい。 誰であったか忘れたが、ブラジル代表にも過去に何度も出場したさる有名選手も、こうしたコミュニティ出身であり、その他にも大勢居る。この国では、どんな職業でも、一律の階層出身で構成されている会社や業種はない。ほとんどが様々な階層出身の人によって構成され、それがこの国の社会のバイタリティに繋がっているようだ。

ところで、こうしたコミュニティの中の1つの住居を70万ドルで買い取った御仁「ナイト」がいる。某国の元サッカ-プレ-ヤ-であるとか。コミュニティ全体の不動産の値上がりを呼びそうな話ではある。               
Gloria地区の1922年の写真。左手の奥に見えるのがパン デ アスカルで、まだケ-ブル カ-の施設は無い。 
最後に、リオの名所であるコルコブァドのキリスト像や、パンデアスカル、ラッパ水道橋、旧称ファベラ現コミュニティを一枚の絵に描いた色彩感覚で、彼らの天性的に明るい性格がうかがえる絵も鑑賞して頂きたい。

この国の人好みの色彩感覚の絵 コミュニティも明るくて美しい

内海の湖岸で放し飼いのカピブァラの親子

現在のリオ市の風景の中で、世界的に知られているのがコパカパナの海岸である。美しい白い砂浜の長さは6キロ弱あり、写真で見ると1つの海岸で繋がった浜であるが、実際には二つの名称に分かれている。大西洋に向って右側がコパカバナで四キロ強、左手がレメ海岸と呼ばれ2キロ弱。境界地点であるアトランチカ大通りの内側に、奴隷解放法令を発布したプリンセザ・イザベルの銅像が大西洋に向って建っている。奴隷を満載した船が入港して来ないか監視しているように見受けられる。
「コパカバナの名称の由来」
「コパカバナ」という単語の語源は諸説あるものの、言語学者によればポルトガル語ではなく、アンデス系インジオの言語であるとされている。一説ではスペインに滅ぼされたインカ系部族が使っていたとされる語で、「湖畔の丘」「湖を横から眺める」などの意味を持つ単語である。Copacabanaという村がチチカカ湖畔に現存するが、伝説によると原住民が信仰していた神の名が「コパカワナ」と呼ばれていたことに由来しているとされる。伝承では17世紀の後半、その伝説の女神の像のレプリカがブラジルに齎された。齎した人間はポルトガル人の商人という説も有ればボリビア人説、ペル-人説もある。ところがこれとは大いに違う伝説もある。西洋人が現れる以前は、このあたりにはTupi-Guarani族という原住民が住んでいた。彼らの言葉でこの海岸をKupa-kawanaと呼び習わしていたものが、後年のポルトガル人がそのまま継承し、ブラジル語でCopacabanaとして定着したもの。1600年代、グァナバラ湾の入り口の大西洋で沈没船があったが、ずっと後年、現在の要塞がある海岸近くで聖像が漁師によって拾われたものがそれである。市ではこの説を採って居り、説得力がある。                          いずれの伝説にせよ、その像をコパカバナ突端にある「要塞」の地所にカペラを建てて祭ったところからは実話である。カペラにはNossa Senhora da Copacabanaという名が付けられた。要塞とカペラの地帯はコパカバナ地区と名が付き、海岸の二本目の大通りの名も、伝説の女神であるノッサ セニョラダ コパカバナである。写真の女神像は、「レプリカ」で、コパカバナ海岸の浜の隅に現存する漁師村の守り神であるサン・ペドロの聖像と共に粗末な建物の片隅に置かれている。その漁師はむろんのこと難破船から上がった聖像の伝説を信じている。
「コパカバナ第一の名ビル」
コパカバナとレメの海岸通りに面して半月のように湾曲して立ち並ぶビルは、コパカバナ側が107 棟、レメ側が 38棟、合計155棟ほどある。大部分のビルは12,3階建で、30階近い建物はホテルで3棟ほど、後の大半が住宅ビルで、住民の大半がが富裕層である。また、昔からリタイヤした年齢層が多いことでも知られる。
ビルの群れの中央からややレメ海岸よりに、コパカバナ・パラセ ホテルの白亜の姿がある。1923年に完成したもので、フランス人の設計になるEcletic様式の、歴史建造物保存院から認定されているこの海岸の王冠のダイヤモンドである。建設された当時の写真を見ると、閑散とした荒れた浜に立っている。オナ-はイタリアの富豪であったが、この大正23年に該当する時代に先見の明を持って建てたことには驚かされる。        ホテルの先には、切り崩される前の二つの丘がまだ写っている。そこから向こうがコパカバナで、こちら側がレメ海岸だったが都市整備で現在の区分けに変更された。海岸の拡張工事は後年60,年代に行われたもので、まだ一本きりの路である。現在の宿泊代は、一般の人の懐ではとてもなじめない値段である。因みに、一番廉価な部屋が1泊500 ドル、著名人などが泊まる部屋は1泊3500ドルから。 その部屋にさる英国人の富豪は、半年間も滞在している。彼の愛犬はただ一匹で1泊500ドルの部屋に滞在し、食事から散歩、就寝まで付き人が専属についている。まさにお犬様だ。また、さる歌手が結婚式を挙げたが、借り切った披露宴の費用が一晩で70万ドルであった。そもそもこの海岸一体は、1892年にトンネルが開通されてからリオ市の支配層の避暑地として発展して来た関係で、富裕層や著名な芸能人らが好んで居を定めてきたため高級地域としての伝統と認識が定着した。また、コパカバナの最南部には別の高級ホテルがあり、そこにワールド・カップのコマンド基地となるFIFAの本営が設置される。視覚に訴えるには持って来いの風景美と都市美を兼備した景観であり、一種の権威を発揮する位置である。                      ところが、である。その高級ホテルのすぐ裏山の丘に連なって、無数の貧困層の剥き出しの家屋が建っている。以前はファべラ貧民街今のコミュニティである。②の方でそれにふれる。

にほんブログ村 海外生活ブログ ポルトガル情報へ
にほんブログ村
にほんブログ村 旅行ブログ 旅行の豆知識へ
にほんブログ村

スポンサーサイト


  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://chimotoportugal.blog76.fc2.com/tb.php/1323-6a49658f

プロフィール

ルア

Author:ルア
プロフィール 千本佳男
ちもと よしお
(写真は息子です)

ポルトガル在住30年以上
職業   取材・コーディネイター
星座   魚座 
血液型  B型
住む理由 気候がよく、ワインも食べ物も美味しいポルトガルの虜
趣味  昔はウインドサーフ、現在はもっぱらネットサーフ
好きな物 ポルトガルではワイン、日本では餡このお餅
得意な事 サッカー取材
日本の家 神戸にあります
ポルトガルの家 リスボン郊外25キロの住宅街
事務所  海と世界遺産シントラの山が見える丘の上

やろうと思う事 ポルトガルの写真を沢山撮って紹介したい

*****チモト実績*****

依頼源 ポルトガル
ICEP(ポルトガル貿易・観光振興庁)
IPPAR(ポルトガル歴史建造物保存院)
ポルトガル政府観光局
裁判所関連書類翻訳
メディア翻訳・ナレーション・通訳等

依頼源 日本
各官庁、地方自治体の業務請負
ポルトガル博覧会日本館チーフ・コーディネイト
大手商社業務委託
商品調査
イベント関連、 その他、

NHK
EUサミット・リスボン
首相インタビュー
大河ドラマ 信長
世界ふれあい街歩き
世界入りにくい居酒屋
Wカップリサーチ・選手インタビュー
その他、 報道、文化、スポーツ番組

民放(各社一番組紹介)
開局40周年 大航海!謎と夢のコロンブス大紀行 NTV
めさましテレビ フジ
深夜特急98 NBN
新ポルトガル謎紀行 TBS
道浪漫 MBS
旅サラダ  ABC
ワールドビジネスサテライト TV東京
ユーロ(ヨーロッパサッカー選手権)WOWOW
赤道大紀行 CBC
にじいろジーン KTV
GAORA、KBS、KTS、TOS、SAGA-TV、旅チャンネル、その他

映画 東宝「7月24日通りのクリスマス」 

新聞 朝日、読売、毎日、その他

雑誌 フィガロ・家庭画報・コスモポリタン・スカイワールド(JAL)・アゴラ(JAL)・ナンバーなど、その他多数

ファッション カタログ
広告 CANON・ニッサン・トヨタ・エプソン・いいちこ・福砂屋・ダイキン・無印


ご連絡お待ちします。
chimotopt@gmail.com

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。