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鉄砲伝来

Posted by ルア on 05.2018 歴史   0 comments   0 trackback


テージョ川の河口のベレン地区は15/16世紀世界に君臨したポルトガルの大航海時代の栄誉を現代に伝える歴史的な建築物が残り、外国からの観光客なら是非立ち寄ってみたい訪問先ナンバー1でもある。リスボン子なら、親子で祝日の早朝には散歩をしてみたくなる。もし、恋人同士なら遠くに見える大西洋に沈む夕日を二人きりで追ってみたい気持ちにさせてくれる不思議で開放的な空間のように思える。
16世紀の大航海時代に建てられたジェロニモス修道院とベレンの塔はユネスコ認定の世界文化遺産に認定され、その他にも今は素敵な居酒屋レストラン街となっている大航海時代に航海者で賑わった家並みや、大統領官邸になっている16世紀の宮殿がある。
ジェロニモス修道院の真南に位置するテージョ川沿いに1960年にエンリケ航海王子の回忌500年を記念し造られた高さ56メートルの発見のモニュメントは白の大理石造りで遙か後方の吊り橋4月25橋の赤と対比して美しい。エンリケ航海王子を先頭にバスコダガマやマゼランら昔歴史の教科書で習った懐かしい人物が当時の栄光を現在に伝えるべく彫り込まれている。
このモニュメントの正面広場には、世界地図が大理石に刻まれ、ポルトガルが世界に君臨した当時の様子を伺えるよう、ヨーロッパの諸国のなかで最初に新天地に到達をした世界各地に年号が刻まれている。
当然のことだが、地図を見ていると、ポルトガル近郊諸国の年号が一番古く、東に移動すればするほど若い年号に変わって行くが、東の端まで目を移していくと日本が地図に刻まれ、日本列島の下のところに1541年と言う年号が刻まれている。
確か教科書では1543年にポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲を伝え戦国時代の日本の歴史を大きく変えたとある。最初この年号を見たときは目を疑ったものであったが、ポルトガル人の専門家から話を聞くことが出来納得する事が出来た。
歴史故に色々な説があるようだが、ポルトガル人が日本に最初に到達したのが、1541年。その後鉄砲を伝来したのは1543年と言う説である。
その当時、ポルトガルをはじめ多くのヨーロッパ諸国では、黄金の国ジパングまでの航路を探すことに躍起となっていた。インドのゴアからマッラッカを経て、中国のマカオを拠点として貿易・布教活動を行っていたポルトガル人が偏西風にのりたまたまたどり着いた先が夢にまで見た日本であった。アントニオ・ガルバンの世界新旧発見記やジョアン・ロドリゲスの日本教会史に登場する日本漂着には、鉄砲のことなど書かれていない。西洋人が金に埋め尽くされた豊かな国に着いた事が記録として残されている。
当時の領主種子島時堯の元に鉄砲が献上されるのは1953年であったのであろう。ただ、ポルトガル人にとっては鉄砲伝来の事実よりも、日本到着の事実の方が歴史的に重みを持っていたことは間違いない。
双方の目的意識の違いから、歴史の解釈も大きく違ってくる事を考えればなかなか興味深いもので、それでは、日本に伝えられた鉄砲はポルトガルに残っているのだろうかと新たに好奇心がわいてくる。
リスボンの玄関口サンタ・アポローニア駅の近くに陸軍が管理する鉄砲博物館とも呼ばれる軍事博物館がある。18世紀の軍事工場を改築して作られた館内には、その名のとうり鉄砲や大砲がところ狭しと展示されており、無数の鉄砲の中に日本に伝えられたものと同じタイプの鉄砲と言う表示の元に、一丁の火縄銃が展示してある。当時のポルトガル王ジョアン3世がボヘミア地方で作らせたものらしい。
ただ、日本に伝えられた鉄砲と比べるとポルトガル人の体型に合わしているのか、何となく太く重々しい感じがする。疑問に思い日本の百科事典をめくり、その当時の鉄砲の写真と見比べてみることにした。
日本に伝わったとされる火縄銃は、銃床が細いためスマートに見え、博物館で見た火縄銃は三角形をしており大きい。日本では銃床を頬につけ鉄砲を撃ち、ヨーロッパでは肩にあてて撃ったため形が違っている様だ。また、火ばさみの仕組みも大きく違っていることに気がついた。日本式は火ばさみが銃口に向かって下り点火させるのに対し、ヨーロッパ式は逆で射手に向かって下りる仕組みになっている。
ポルトガル人が鉄砲を伝来したのは事実だが、どうもその当時のヨーロッパで使われていたものではないようだ。
今もポルトガル人の子孫が住むマラッカで大量に鉄砲が造られたとも聞いている。ポルトガル本土から大量の火器を持ち込むよりは、東洋貿易の拠点に技術輸出し現地で造らせた方が経済的と考えたのかも分からない。
でもどうして、形が変わったのだろうか。西洋人に比べ東洋人はもともと体がきゃしゃだったので、スマートな形の頬に銃床をあてるタイプになったのであろうか。鉄砲の引き金をひく際、火ばさみが手前に落ちて来れば自然反射でどうも目を閉じがちになったから逆向きに改良されたのであろうか。ポルトガルを出発した鉄砲が日本に伝えられるまでに幾度か改良され、ポルトガルでは日本に伝えられたと信じられている鉄砲と違うものになってしまっている。
軍事博物館には、日本で改良されポルトガルに寄贈された鉄砲も展示してあった。館員の説明では、改良され日本に伝わったものよりも数段性能が良くなっているとのことであった。
鉄砲はこのほか、海洋博物館にも日本から寄贈されたものが展示してあるが、日本に伝えられたと展示されているものより、日本人の体型に合わせるように小型化され見た目にも美しい芸術性を帯びたものに進化している。
同じ使用目的で作られたものが、風土やそれを使う人間によってこれだけ変わっていくものかをも鉄砲伝来を通して改めて考えさせられた。

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マゼラン世界一周

Posted by ルア on 24.2013 歴史   0 comments   0 trackback
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「マガリャエンス」マゼランをポルトガル語読みではこう発音する。

博覧会会場跡の波止場に、1519年ー1522年にかけマゼランの指揮のもとに世界一周を果たしたヴィトリア号のレプリカが寄港している。
トリニダード号、サント・アントニオ号、コンセプション号、サンティアゴ号との5隻で2年間もの食料を用意し地球一周を目指した船だ。ポルトガル人とスペイン人との間での憎み合いや裏切り、過酷な航海の末唯一世界一周を果たしたのはこのヴィトリア号だった。

総勢265人のうち無事生還したのは18名、マゼランを始め多くの航海者が命を落とした。
スペインでは史上初の世界一周を遂げたのはマゼランではなく、唯一一隻の帰還船で最後に指揮をとったファン・セバスチャン・エルカーノとされているそうだ。

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サント・アントニオ教会(ラゴス)

Posted by ルア on 22.2011 歴史   2 comments   0 trackback


ラゴス(ポルトガル南部アルガルベ地方)サント・アントニオ教会に行った。
まだ、夏期休暇前だったので人もまばら、昔ながらのアルガルベがそこに在った。

ラゴスにあるこの教会はターリャ・ドウラーダで有名だ。
ターリャ・ドウラーダは18世紀のポルトガル・バロック様式、多くの教会で木の彫刻に金箔が塗られた祭壇が今も残っているが、この教会のものは保存の状態が良い。

18世紀と言えば、大航海時代で多くの植民を手にし、特にブラジルから黄金が持ち込まれたポルトガル全盛期で、当時の王ジョアン五世によってこの教会の内装が施された。

ジョアン五世で有名な建物は、以前に山岡さんが紹介されたマフラの修道院だが、各地の教会がジョアン五世の命で黄金造りの内装に改装された。
不思議な感じがする。仏壇の中に入った様な心境だ。

魚に説教をするサント・アントニオ


天井は王室の紋章


18世紀には黄金造りの他に、タイルも教会の内壁に貼られるようになる。
次の機会には、タイル(アズレージョ)と黄金の教会を紹介したい。

ポルトガルの建物を見ると、12世紀、14世紀、16世紀、18世紀の特長を持ったものが多い。
これらの時代に国が栄え、建築物にも影響をあたえた。

21世紀にも栄え、新しいポルトガルの建築様式を見ることが出来るのであろうか...

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革命記念日

Posted by ルア on 01.2011 歴史   4 comments   0 trackback
カーネション革命とも言われた4月25日革命、カーネションを求める参加者達
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あれから37年も過ぎたと言う。
1974年の4月25日の革命日は下町にカメラを持って出かけていた。

たまに聞こえる銃器の発射音、映画の中で聞いた拳銃の発射音と異なり、乾燥した空気を切り裂く様な「ターン」「ターン」と言うものだった。

写真を沢山撮ったが、政府軍側の共和国警察軍の兵士に機関銃をつきつけられ没収されてしまった。
戦車のキャタピラによって街中のアスファルトは剥がされていた。

隣が誰とも意識せず、自由が訪れた事を喜びあった。
多くのポルトガル人は涙を流していた。

この革命を記念するパレードが4月25日にリベルダーデ大通りで行われた。
革命を記念するパレードというより、左翼団体の現政府に対する抗議集会のようであった。

ポルトガル人の皆が民主主義が始まったことを祝った革命記念日で始まり、当初は国民みんなで盛り上がっていたのだが37年の年月のせいであろうか。

民主主義が始まって年月は浅いが、未来のポルトガルの為に働く政治家達が多くでて来ることを今一度願った4月25日だった。

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バスコダガマ通り

Posted by ルア on 08.2011 歴史   6 comments   0 trackback
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世界文化遺産の城壁に囲まれた町エヴォラの中心部にバスコダガマ通りがあります。

バスコダガマは南部地方のシネスで生まれたとされていますが、どうしてエヴォラにバスコダガマ通りと命名されたのでしょうか。

大航海時代、多くのヨーロッパの都市はペストに襲われます。ポルトガルの王もペストに感染する可能性があるリスボンを離れ、内陸部に移り住むようになります。


マヌエル王はこの地に宮殿を建て、現在も公園と共に市民の憩いの場として残っています。
マヌエル王の宮殿横の公園に立つバスコダガマ

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バスコダガマは王に会うためエヴォラまで旅をします。
バスコダガマが泊まった先は宮殿ではなく、イエズス会の宿泊施設でした。

ヴィアナの神殿がある広場から入った通りで中心部に位置しますので、エヴォラに行かれた際は是非お寄りください。

イエズス会の宿泊施設、現在も使用されている。

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内部は崩れそうな壁に描かれたフレスコ画も保存?されているベッドと小さな机があるだけの質素な部屋に泊まったとされている。

俗称バスコダガマの窓

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プロフィール

ルア

Author:ルア
プロフィール 千本佳男
ちもと よしお
(写真は息子です)

ポルトガル在住30年以上
職業   取材・コーディネイター
星座   魚座 
血液型  B型
住む理由 気候がよく、ワインも食べ物も美味しいポルトガルの虜
趣味  昔はウインドサーフ、現在はもっぱらネットサーフ
好きな物 ポルトガルではワイン、日本では餡このお餅
得意な事 サッカー取材
日本の家 神戸にあります
ポルトガルの家 リスボン郊外25キロの住宅街
事務所  海と世界遺産シントラの山が見える丘の上

やろうと思う事 ポルトガルの写真を沢山撮って紹介したい

*****チモト実績*****

依頼源 ポルトガル
ICEP(ポルトガル貿易・観光振興庁)
IPPAR(ポルトガル歴史建造物保存院)
ポルトガル政府観光局
裁判所関連書類翻訳
メディア翻訳・ナレーション・通訳等

依頼源 日本
各官庁、地方自治体の業務請負
ポルトガル博覧会日本館チーフ・コーディネイト
大手商社業務委託
商品調査
イベント関連、 その他、

NHK
EUサミット・リスボン
首相インタビュー
大河ドラマ 信長
世界ふれあい街歩き
世界入りにくい居酒屋
Wカップリサーチ・選手インタビュー
その他、 報道、文化、スポーツ番組

民放(各社一番組紹介)
開局40周年 大航海!謎と夢のコロンブス大紀行 NTV
めさましテレビ フジ
深夜特急98 NBN
新ポルトガル謎紀行 TBS
道浪漫 MBS
旅サラダ  ABC
ワールドビジネスサテライト TV東京
ユーロ(ヨーロッパサッカー選手権)WOWOW
赤道大紀行 CBC
にじいろジーン KTV
GAORA、KBS、KTS、TOS、SAGA-TV、旅チャンネル、その他

映画 東宝「7月24日通りのクリスマス」 

新聞 朝日、読売、毎日、その他

雑誌 フィガロ・家庭画報・コスモポリタン・スカイワールド(JAL)・アゴラ(JAL)・ナンバーなど、その他多数

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